こんにちは!
管理人のハルです!
今回も前回の続きで日本酒の歴史について調べてみました。
暇つぶしにどうぞ!!
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明治時代に入るとワインなどの洋酒が輸入され始めました。
しかし、当初は酒といえば日本酒が主流でもあったため、販売店でも洋酒を扱っている店は少なかったそうです。
ちなみにこの頃から『日本酒』という名称が使われ始めました。
きっかけは当時、日本酒に興味をもった欧米人が日本酒について研究し、発表した際に自国の酒と判別するために使ったのが始まりとされています。
1873年のウィーン万国博覧会にも日本酒が出品されました。これが日本酒がヨーロッパに初めて輸出された最初の出来事と言われています。
明治時代になると江戸時代にあった酒株制度が廃止となり、免許料などを払えば誰でも作れるようになりました。
酒株制度が廃止されたことにより、各地で酒造りが盛んとなりました。
江戸時代に人気の産地であった灘は面時になっても変わらずに主要産地でした。
灘の他には京都の伏見が産地として有名となりました。
京都での酒造は江戸時代より前から行われてきましたが、江戸後期の戦乱により大きな被害を受け、生産量を減らしていました。しかし、明治時代から再び生産が盛んに行われるようになりました。
背景としては大倉恒吉商店がリーダーとなり、酒造技術に科学技術を導入したり、当時酒樽に詰めていた酒を瓶詰めにするなど、革新的なものを導入したことにあります。
またこの頃、広島なども日本酒造りが盛んになりました。元々は軟水が多い地域であり酒造りが困難でしたが、研究を重ね軟水醸造法を編み出し、酒造りが盛んとなりました。
特に福岡の城島地区は九州の灘と呼ばれるほどの産地となったそうです。
明治時代に入ると海外の技術を取り入れるため、外国人を積極的に雇いました。
醸造でも同様に海外の職人を雇い、日本酒の酒造りを見直すきっかけとなりました。
そして1904年(明治34年)には東京に醸造研究所が創設されました。
創設された目的としては当時日本酒が抱えていた問題を解決するためだったそうです。当時日本酒醸造が抱えていた一番の問題は腐敗でした。
室町時代の火入れや江戸時代の寒造りなど腐敗を防ぐために様々な技術がありましたが、完全には防げてはいませんでした。しかし、研究所が科学的根拠に基づいた新技術を開発したことにより、明治後半から昭和初期にかけて腐敗する日本酒の量は大幅に減少しました。
そして日本酒の腐敗を防ぐために大きく貢献したのが、、、
今では当たり前にある一升瓶になります。
一升瓶はそれまで使用されていた酒樽と比べて密封ができ、尚且つ消毒による除菌もできたため、菌の繁殖を防ぐことが可能となりました。
しかし、当時は酒樽での取引が主流だったため、一升瓶の普及は進みませんでした。転機となったのは関東大震災で酒樽の資材が不足し、ガラスによる一升瓶の需要が一気に増え、現在に至ります。
何が転機になるか分からないものですね・・・。そして一升瓶がそのような役割を担って製造が始まったのも驚きな発見でした!
いかがだったでしょうか?
明治時代に入ると海外からの技術や知識が入った結果、現在の日本酒の姿があるんですねー。
一升瓶が開発、広まったのもこの頃だったのも驚きでした・・・。
調べれば調べるほど奥が深い。。。深すぎる。。。
この調子でゆるーく調べていけたらと思います(笑)
次回もまた日本酒の続きを書いていきます!
最後までお付き合いいただきありまとうございました!
ではまた!