朝ごはんの定番といえば「納豆」。
炊きたてのご飯に納豆をかけて、味噌汁と一緒に食べる。いかにも日本らしい朝食ですよね。
スーパーに行けば3パック100円前後でも買える身近な食べ物ですが、ふと考えてみると、
「日本人って、いつから納豆を食べているの?」
と気になりませんか?
実は納豆の歴史を調べてみると、意外にも「いつ、どこで誕生したのか」はハッキリしていません。
平安時代の武将が発見したという有名な伝説がある一方で、現在の納豆とはまったく違う「納豆」も存在します。
今回は、そんな知っているようで知らない「納豆の歴史」を紹介します。
まず結論からいうと、
現在食べられている糸引き納豆が、いつ誕生したのかはハッキリわかっていません。
納豆は煮た大豆に納豆菌が付着し、発酵することで作られます。
昔の日本では稲作が行われており、大豆も身近な食材でした。
さらに稲わらには納豆菌が存在するため、
「煮た大豆をわらに包んでいたら偶然発酵した」
ということが起きても不思議ではありません。
そのため、日本各地で自然発生的に納豆が作られるようになった可能性も考えられています。
納豆の起源としてよく登場する人物が、平安時代の武将・源義家です。
1083年に始まった「後三年の役」で東北地方へ向かった際、馬の飼料として用意していた煮豆をわらに包んでおいたところ、偶然発酵して糸を引くようになったという伝承があります。
食べてみると意外にもおいしかったため、周辺へ広まっていったという話です。
水戸にも源義家と納豆にまつわる伝承が残されています。
ただし、これはあくまで納豆誕生にまつわる伝説の一つ。
「源義家が納豆を発明した」と断定できる歴史的証拠があるわけではありません。
それでも約1,000年前の武将と納豆が結びついているというだけで、ちょっと面白い話ですよね。
納豆と聞いて、
「水戸納豆」
を思い浮かべる人も多いでしょう。
そのため「納豆は水戸で生まれた」と思われがちですが、これも少し違います。
水戸には先ほど紹介した源義家の伝承がありますが、納豆の起源そのものには諸説あります。
では、なぜ水戸がこれほど納豆で有名になったのでしょうか。
大きく関係しているのが明治時代の商品化です。
水戸では明治時代、笹沼清左衛門が糸引き納豆の商品化に取り組みました。
さらに鉄道の発達によって水戸駅などで納豆が販売されるようになり、水戸土産として全国へ知られるようになります。
つまり、
「納豆発祥=水戸」とは言い切れないものの、納豆を全国的な名物にした地域の一つが水戸
という方が実態に近いでしょう。
納豆の歴史を調べると少しややこしいのが、
昔の「納豆」と現在の納豆が必ずしも同じ食べ物ではない
ということです。
代表的なのが「寺納豆」です。
寺納豆は、現在一般的に食べられているネバネバした納豆とはかなり違います。
大豆を麹菌などで発酵させ、塩水に漬けて熟成・乾燥させた発酵食品です。
見た目は黒っぽく、
ほとんど糸を引きません。
味も塩味とうま味が強く、味噌や中国の豆鼓に近い食品です。
鎌倉時代に中国から禅僧を通じて伝わったとされ、寺院では貴重なタンパク質源や保存食として利用されました。
現在でも京都の「大徳寺納豆」や静岡県浜松市の「浜納豆」などに、その文化が残っています。
「納豆」という名前にも諸説あります。
有名なのが、
寺院の「納所(なっしょ)」で作られていた豆だから「納豆」になった
という説です。
納所とは、寺院で食料や金銭などを管理していた場所・役職のこと。
そこで作られていた発酵大豆が「納豆」と呼ばれるようになったというわけです。
ただし、納豆という言葉の語源についても確定しているわけではありません。
納豆は食べ物そのものだけでなく、名前の由来まで謎が残っているんですね。
現在の納豆文化に大きく近づくのが江戸時代です。
この頃になると、糸を引く納豆が庶民の食卓にも広がっていきます。
特に江戸では納豆を売り歩く「納豆売り」も登場しました。
朝になると納豆売りが町を歩き、人々が朝食用に納豆を買う。
現在のスーパーとはまったく違いますが、
「朝ごはんに納豆」
という文化は、かなり昔からあったわけです。
現代では、
納豆+白いご飯
が王道ですが、江戸時代には「納豆汁」も親しまれていました。
納豆をすりつぶし、味噌汁に入れて食べる料理です。
現在でも東北地方などには郷土料理として納豆汁が残っています。
寒い冬に納豆入りの温かい味噌汁。
これは私自身も小さい頃から食べていました!
昔の納豆作りでは、煮た大豆を稲わらに包んで発酵させる方法が一般的でした。
しかし、この方法では毎回同じ品質の納豆を作るのが難しいという問題があります。
そこで近代になると、
納豆菌そのものを利用して安定して発酵させる研究
が進んでいきました。
大正時代には北海道帝国大学の半澤洵が、純粋培養した納豆菌を使って衛生的に納豆を製造する方法を研究。
こうした技術の発展によって、現在につながる近代的な納豆製造が広まっていきました。
昔ながらの納豆といえば、
わら納豆
ですよね。
単なる昔の包装方法だと思ってしまいますが、わらには重要な意味があります。
稲わらには納豆を発酵させる納豆菌が存在します。
そのため煮た大豆をわらに包み、適切な温度に保つことで納豆を作ることができました。
つまり稲わらは、
「容器」と「発酵に必要な菌」の二役
を担っていたわけです。
昔の人が微生物の存在を知らない時代から、この仕組みを経験的に利用していたと考えると面白いですよね。
ちなみに、
7月10日は「納豆の日」
です。
理由はもうわかりますよね。
7=「なっ」
10=「とう」
で、
7月10日=なっとう
という語呂合わせです。
もともとは関西で納豆の消費拡大を目的として制定され、その後1992年に全国的な記念日になりました。
関東では昔から馴染みの深い納豆ですが、関西では「納豆をあまり食べない」と言われてきた歴史があります。
そんな地域差が「納豆の日」誕生にも関係しているというのは、なかなか面白い雑学です。
| 時代 | 納豆にまつわる出来事 |
| 古代 | 大豆や稲作が広まり、自然発酵による納豆が生まれた可能性 |
| 平安時代 | 源義家の「納豆誕生伝説」が残る |
| 鎌倉時代 | 中国から寺納豆につながる発酵食品が伝わる |
| 江戸時代 | 糸引き納豆が庶民へ広まり、納豆売りも登場 |
| 明治時代 | 水戸などで納豆の商品化が進む |
| 大正時代 | 納豆菌を利用した近代的な製造技術が発展 |
| 現代 | 日本を代表する発酵食品として全国で親しまれる |
納豆は日本を代表する食べ物ですが、
「誰が最初に作ったのか」
については、今でもはっきりわかっていません。
源義家が発見したという伝説がある一方で、日本各地で自然発生的に作られていた可能性もあります。
そして江戸時代には庶民の食卓へ広がり、明治・大正時代になると製造技術が発展。
現在ではスーパーで当たり前のように買える食品になりました。
普段何気なく混ぜている納豆ですが、その一粒には1,000年以上ともいえる日本の食文化が詰まっているのかもしれません。
明日の朝、納豆を見る目がほんの少し変わりそうですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
それではまた!