【お酒のこと】日本酒の歴史~昭和~
こんにちは!
管理人のハルです!
今回は日本酒の歴史昭和編です。
暇つぶしにどうぞ!
戦時中の日本酒
昭和に入ると、戦争もあり深刻な物資不足に陥りました。そんな中で出回っていたお酒が金魚酒です。
金魚酒とはその名の通り、金魚も泳げそうなほどアルコールが薄まったお酒のこ通称です。戦時中のため原料である米が不足してしまったこと、酒造所の廃業が相次いだことでのお酒の生産量の低下が主な原因となっています。また、当時、造石税はお酒に加水すればするほど税金が安くなる仕組みであり、流通過程でどんどん加水され金魚酒となってしまったようです。
このことは水酒問題として世に広まったそうです。
1940年(昭和15年)日本政府はこの金魚酒の問題を解決しようと、アルコール度数と原エキス分によって
上等酒(アルコール度数15%以上、原エキス分30%以上)
中等酒(アルコール度数14%以上、原エキス分28%以上)
並等酒(アルコール度数13%以上、原エキス分25%以上)
の3つに分け、公定価格として決定しました。
しかし、これだけではアルコール度数の違いと原料の量のみで判別され、味や香りでの評価はできませんでした。
そのため、酒造組合中央会が規格表示症を瓶に添付し、官能検査結果の表示をするように酒蔵に指導しました。
官能検査とは日本酒の香りの良しあしなどを評価したもので上等級香・中等級・並等級に分かれ、それぞれ香味色沢の優秀なるもの・香味色沢の標準なるもの・香味色沢の中につぐものと分類されています。
このことが現在の品質表示表の始まりとなりました。
その後太平洋戦争が始まると物資不足加速し、酒造米も配給制となり日本酒の酒造量は更に減少しました。
1943年(昭和18年)になると日本酒級別制度というものが始まりました。
これは日本酒を、
『品質に応じて級別にあてはめ、それぞれ異なる酒税を課す』
ことが目的で始まったそうです。
分類はアルコール度数と酒質で特級・一級・二級・三級・四級・五級に分かれます。
この制度は1992年(平成4年)まで続きました。戦争後、酒の配給制度(酒米の配給は昭和44年まで続いた)
三倍醸造精酒の誕生
太平洋戦争が続くと、物資不足が更に深刻となりました。
酒造米を節約するために当時満州で開発・研究されていた酒にアルコールを添加し、量を増やす方法が本国でも始まりました。
当時の満州は入植した青年層が多くいたため、酒の消費量も多かったことから研究が始まりました。なんでも本国の2倍の消費量があったとか・・・。
研究当初は味が不安定となることが多かったそうですが、研究が続きアルコールの添加だけではなく、クエン酸やブドウ糖などの調味アルコールも添加され、味が調えられるようになりました。
研究は戦後も続き、1949年(昭和24年)には全国の酒造場で試験醸造が行われました。
この時できた清酒は通常よりも3倍の量になったことから、
『三倍醸造清酒(三増酒)』
と呼ばれました。翌年からは全国的に醸造が開始されました。
戦後
戦後も日本酒の級別制度は継続していましたが、次第に批判が高まってきました。理由としてはアルコール度数などが主な基準となっているため、酒質と比例していないことが多かったためでした。
そのため、複数の酒蔵ではわざと監査を通さず、高品質な日本酒を二級酒として販売するようになりました。このことにより高品質な二級酒が増えていったことで級別制度が意味をなさなくなり、平成4年に級別制度が廃止となり、普通酒や特定名称酒(吟醸・大吟醸など)現在の分類体系へと変わっていきました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
ざっくりと調べてみました。
ちなみに仕事中、高齢者の方との会話の中で特級酒とか二級酒なんて話を聞く機会がよくありました(笑)最初はよくわかりませんでしたが、今ではよく理解できます。
当時のことを調べることだけでも会話のジャンルが増やせるので、これからも気になったことは調べていきたいと思います!
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
ではまた!