現在、日本酒は世界的にも人気を集める日本の伝統酒となっています。
そんな日本酒ですが、実は現在の清酒に近い製法が確立されたのは室町時代だと言われています。
さらに江戸時代になると、
- 寒造り
- 三段仕込み
- 大量輸送
- 酒株制度
など、日本酒文化を大きく発展させる技術や制度が次々に誕生しました。
今回は、
- 室町時代の日本酒
- 僧坊酒と諸白
- 江戸時代の寒造り
- 灘酒の発展
- 江戸で人気となった「下り酒」
など、日本酒の歴史をわかりやすく解説していきます。
室町時代|現在の日本酒の原型が誕生
僧坊酒の発展
室町時代後期になると、寺院で造られる「僧坊酒(そうぼうしゅ)」が盛んになりました。
特に有名なのが、奈良県にある日本清酒発祥の地とも言われる
菩提山正暦寺(ぼだいせんしょうりゃくじ)
です。
この寺院を中心に酒造技術が発展し、現在の日本酒の基礎となる
「諸白(もろはく)」
という製法が生まれました。
諸白(もろはく)とは?
諸白とは、
- 麹米
- 掛米(蒸米)
の両方に精白米を使用する製法です。
それまでの酒よりも透明度が高く、雑味の少ない高品質な酒だったと言われています。
現在の日本酒、特に純米大吟醸にも通じるような、洗練された酒造りだったのですね。
当時、奈良で造られた諸白は
「南都諸白(なんともろはく)」
と呼ばれ、高級酒として人気を集めていました。
戦国時代と酒造技術の広がり
しかし戦国時代後期になると、寺院勢力は徐々に衰退していきます。
それに伴い僧坊酒も減少していきましたが、酒造技術そのものは民間の酒造家へ受け継がれていきました。
その結果、日本酒造りは各地へ広がっていきます。
豊臣秀吉の朝鮮出兵と日本酒
日本酒が地方へ広まった背景の一つとして、豊臣秀吉による朝鮮出兵も関係していると言われています。
中継基地となった九州や瀬戸内地域では、「南都諸白」が特に人気だったそうです。
理由としては、潮風による品質変化に比較的強く、香りや味わいが安定していたためと考えられています。
江戸時代|日本酒文化が大きく発展
江戸時代の酒造り
江戸時代になると、日本酒造りは現在の製法にかなり近づいたと言われています。
この時代に誕生した代表的な技術が、
「寒造り(かんづくり)」
です。
寒造りとは?
寒造りとは、冬の寒い時期に酒を仕込む方法です。
当時の酒造りでは、
- 雑菌による腐敗
- 味のバラつき
などが大きな問題でした。
しかし冬は気温が低いため、雑菌が繁殖しにくく、品質が安定しやすかったのです。
さらに、
- 冬に仕込み
- 春から秋に熟成
することで、年末年始の需要期に高品質な酒を販売できるようになりました。
伊丹で生まれた「寒造り三段仕込み」
この寒造りを発展させたのが、兵庫県伊丹市です。
伊丹では、
寒造り三段仕込み
という技術が考案されました。
現在の日本酒でも主流となっている「三段仕込み」の原型とも言われています。
江戸幕府と酒造り
寒造り集中政策
江戸時代初期、幕府は
「寒造り集中政策」
を実施しました。
これは、酒造りを冬季中心に制限する政策です。
背景には、酒造りに大量の米を使用するため、主食用の米不足を防ぐ目的がありました。
この政策によって、寒造りの技術は全国へ広がっていきます。
酒株制度とは?
1657年には、
「酒株制度」
が導入されました。
酒株とは、現在でいう酒造免許のようなものです。
将棋の駒のような形をした木製の鑑札で、無許可での酒造りは禁止されていました。
さらに酒株には、
「酒造石高(しゅぞうこくだか)」
という生産量の制限も記されていたそうです。
これにより幕府は、米の収穫量に応じて酒造量を管理していました。
江戸で人気となった「下り酒」
当時の江戸には、全国からさまざまな物資が集まっていました。
その中でも人気だったのが、上方(関西)から運ばれてきた酒です。
これらは
「下り酒(くだりざけ)」
と呼ばれていました。
特に、
- 伊丹
- 池田
で造られた酒は高級酒として人気が高かったそうです。
酒樽廻船の誕生
当初、酒の輸送は馬が中心でした。
しかし需要の増加に伴い、やがて船による大量輸送へ変化していきます。
さらに、
「酒樽廻船(さかだるかいせん)」
と呼ばれる酒専用の輸送船まで登場しました。
物流の発展が、日本酒人気をさらに押し上げていったのですね。
江戸時代中期〜後期|灘酒の時代へ
灘が日本酒の中心地に
江戸時代中期以降、日本酒の中心地は伊丹・池田から
「灘(現在の兵庫県灘五郷)」
へ移っていきます。
当時、江戸で消費される酒の7〜8割を灘酒が占めていたとも言われています。
宮水の発見
灘酒が発展した最大の理由の一つが、
「宮水(みやみず)」
の発見です。
宮水はミネラルを豊富に含む硬水で、日本酒造りに非常に適していました。
この水によって、キレのある辛口酒が生まれるようになります。
六甲颪と酒造り
さらに灘は、
- 六甲颪(ろっこうおろし)の寒冷な気候
- 港町による輸送の利便性
など、酒造りに適した条件が揃っていました。
寒造りとの相性も良く、品質の高い日本酒を大量に生産できるようになります。
水車精米による大量生産
それまで精米は足踏み式で行われていました。
しかし灘では、水車を利用した精米技術が発展します。
これにより大量精米が可能となり、日本酒の大量生産へつながっていきました。
結果として、灘は全国屈指の酒どころへ成長していきます。
